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切実で、濃密なコミュニケーション。

『きみのためのバラ』池澤夏樹/新潮社

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"いきなり知らない人にこんな話を聞かせてしまってごめんなさいね。でもねえ、きっと知らない人だから話せたのよ"(『都市生活』)

最近、コミュニケーションが希薄化しているとよく耳にする。
いつと比べて薄まっているのかわからないし、自分にあてはめて考えても
記憶というのは主観的なものだから、子供の頃のほうが、
確かにコミュニケーションが濃密だった気もしてしまう。本当にそうなのだろうか?

現代日本を代表する作家、池澤夏樹の2000年代の作品をまとめた短編集。
9.11以後の世界を意識して書かれているだけに、作品の随所で不安化する社会のひずみが描写されるが、そのような世界に苛立ったり不信感を抱きながらも、
まっとうに生きようとする個人の営みが淡々と描かれる。

ただ、3.11を経た現在に読むと、濃密なコミュニケーションをめぐる物語であったことにあらためて気づかされる。自分にとって大切なことを伝えようとしても、うまく伝わらなかったり、
見当違いの返答を得たり、無視されたり。
あるいは、そもそも言葉にできなかったり、赤の他人なら案外うまく伝えられたり。
人はこれほど不器用なのに、ある場合にはたったひとつの言葉の交流が、
人の人生や運命を左右する。コミュニケーションとはこんなにも切実で、
人間的な営みだったのだ。

コミュニケーションは、時代ではなく個人に属する。
弱肉強食のゼロ年代を経て、「つながり」が強調され始めた現在。
僕にはそんなつながりなんて、新たなビジネスモデルにしか思えないのだ。(書店員T)


<荒波観測 キーワード抜粋>

それに、この手紙をもらってから、俺は本当にこの人のことを好きになったみたいなんだな。ああ、いい人なんだなって思った。いや、また連絡を取るようなことはしなかった。終わったことは終わったこと。だけど、何か大事なものを手に入れそこなったという気もしたのさ。(『連夜』)


「私が惹かれたのはやはりパリに暮らす人の姿だったと思う。ブラッスリーの隅で、三十年は連れ添ったと見える夫婦が一言も言葉を交わさずに夕食を終え、それでも互いにすっかり満足しあっている。それを見ながら一人で夕食を摂っているのが私だった。あるいは、六十代の年寄りと二十代の若い娘が明らかに愛人同士として仲良く喋りつづけて、その間も相手の身体のどこかにずっと触れたまま食事をするのを見ながら。人とはそういうものでもあるかと思った」
「いい街だな」
「どうだろう。いつも寂しさはついて回るし、人はみな一人で生きると誰もが知っている。あそこでは人は深い孤独に落ち込みかねない。だから恋をするし、だから食事に時間をかける。そういうことを私は学んだ。そう日記に書いたのを覚えている」
(『人生の広場』)


「この子はねえ」と鷹津さんがダーリーの方を見て言った。「この子は英語しか喋らなかったんだ」
「日本で?」
「そう。家の中で。いいよな、これ、話しても」
「ええ」
「何が理由だったのかな。ともかく中学生の時に英語しか口から出てこなくなった。ぼくはこの子の父親と友人でね。相談されたけど何の助言もできなかった」
(『20マイル四方で唯一のコーヒー豆』)


彼女はまたにっこり笑った。この笑いにぼくはつかまっているんだ、と彼は思った。
「ありがとう」
「きみ、名前は?」
「レメディオス。あなたは?」
 急いで答えて二度くりかえしたけれど、外国の名だし、彼女は聴き取れなかったかもしれない。
 客車の奥の方でおばあちゃんがレメディオスを呼んだ。
 彼女はそちらを振り返って何か言い、こちらを向いた。
 彼の方は何も言うことがなくなってしまって、「アスタ・エルゴ また会おうね」とあてのないことを言って、歩き出した。(『きみのためのバラ』)


『きみのためのバラ』
池澤夏樹
出版社:新潮社

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